ごあいさつ

🔶釣りで新鮮な魚を味わう

 

 幼少期から,旅行好きの母方の祖父,釣り好きで転勤の多かった父の影響で,日本中の美味しい魚介を食べて育ちました。幼稚園の頃から釣竿を持ち歩き,魚図鑑を愛読書とし,魚への興味も自身の成長と共に強くなっていきました。

 日本大学農獣医学部水産学科卒業後は,大手スーパーの鮮魚部門に就職。その後、郵便局へ転職し,保険や貯金の渉外をしていました。転職後しばらくは,カヌーやスキーに没頭していましたが,完治できないケガを負い,釣りへ情熱が再燃。それから現在に至るまで,休みの日の度に釣りにでかけるようになり、釣り上げる魚も高級魚へと変わっていきました。

 実は,元々父方は漁師の家系で,まさにDNAに導かれたようでした。大漁の時におすそ分けで,ご近所や友人宅に魚をおろしてお届けし「この前の魚,美味かったよ。竹味さんは,いつもあんなにおいしい魚ばかり食べているの?」との言葉をいただいたことも。思えば我が家では,マグロと貝以外は,めったに魚を買うことがありませんでした。旅に出かけた時の宿の方や飲食店の方に教わった食べ方や,釣り船の船頭さんから教わった食べ方で釣った魚を食べる,それが我が家では当たり前だったのです。

 

 

🔶魚好きの他業界人だからこそできる魚屋を目指す

 

 長女が水産系の大学に進学してからは,再び水産系の書物に触れる機会が増えました。今の日本の水産業の実態を熱く語る長女。「何とかしないと日本の漁業が危なくなる!」という危機感を持つようになったのです。

 ほぼ同時期に前職で,ある地方都市の老夫婦世帯を訪問した際に,「この辺りは人が少なくなってお店や病院がなくなった。おまけにバスも廃止され,車のない我々は生活が一苦労だよ。」というお悩みを耳にし、強く心に残りました。その後も訪問先でも同様の状況を聞く機会が増える中、「買い物弱者」という言葉を知りました。

 それは定年退職が数年後に迫っており、まさにその後を真剣に考えなくてはいけない時期に差し掛かっていた矢先。「これからは,自分で自信を持ったサービスを提供することで,お客様に喜んでもらえる仕事がしたい。お客様の笑顔がエネルギーになるような仕事がしたい。」との気持ちがふつふつと湧き上がってきました。そしてそれが世の中の役に立つことになればこれほど嬉しいことはないと。

 ある日、決心しました。「そうだ!魚屋さんになろう。」と。自分の魚、釣りへの情熱を形にした「美味しい旬の魚を当たり前に食べてもらうための,魚好きの他業界人がやる魚屋」があってもよいのではないだろうか。「日経新聞を読む,ファイナンシャルプランナーがやる魚屋」もありなのではないだろうか,と思うようになったのです。

 

 

🔶日本の魚食文化の継承のために

 

 日本には,美味しい魚を獲ってくれる,育ててくれる漁師さん達がまだまだいます。問題意識を持ちながら脱サラした若い漁師さん達がいます。私が社会人デビューし,日本の水産業,漁業の漁獲高のピークだった昭和50年代の頃に比べ,人と物,物と人を繋ぐネットワークや物流システムは格段に進歩しています。私は個人的にデフレを歓迎しません。「誰かが泣くから,誰かが笑える。」は,これからの日本で持続できるシステムにはならないと考えています。「使えるシステムをフル活用して漁師さんから適正価格で仕入し,日々頑張る漁師さんを応援したい。高品質の魚介類をお求めやすい方法、価格でより多くの消費者の皆様にお届けしたい。そして,日本独自の魚食文化の継承のお手伝いがしたい。」そんな思いから,「旬あじけん」をはじめました。

 旬あじけんは自身の経験から美味しさを実感し、小売店ではあまり見かけないような魚も扱っております。一人でも多くの魚好きを増やし、日本の魚食文化の継承のお手伝いをするため、新鮮な旬の魚が持つその時々の美味しさをお客様にお届けしてまいります。

 

 

 


千葉県銚子外川港、ホウボウ大漁

山口県須佐のケンサキイカ

愛媛県佐田岬の岬サバの煮物。絶品。